柑橘類が庭に実るなんて夢のよう
オレはミカン畑という風景に憧れみたいなものを持っている。
オレはとくにミカン狩りがしたいが、近所にはミカン園がないので今だにしたことがない。
茨城県内でも栽培できる地域はあるけど、オレの地域は冬はやや冷え込むので、ミカンは枯れてしまうらしい。
後年に撮影したもの 2001年11月18日撮影
オレは社会科の教科書にミカンの栽培地域が載っていたことを思い出した。
それで調べたところ、茨城県は南半分が栽培範囲となっていた。
茨城県の北西方向にあるオレの住所はどうだとなると、こりゃ境界線上じゃねえか。
どっちかというと、境界線よりもやや北側だ。
まあ厳密な線引きではないにしても、オレの住所ではどっちかというとミカンは無理っぽい感じだ。
現に、近所でミカンの木を見たことがない(鉢植えなどの例外はあるが)。
温州ミカンが育つかどうかさえ危なっかしいありさまでは、さらに寒さに弱いイヨカンやオレンジ、レモンなどはなおさら無理ということになる。
う〜む、なんとかならんのか。
夏ミカンなら、近所でまれに見かける。
まれ、であって、あまり一般的ではないけどな。
緑の木に、黄色くて大きな果実がたくさんついている姿は、じつに見栄えがいい。
なんせ、茨城県ではカンキツ類の樹は多くないので、オレにとっては珍しく感じる。
ミカンの栽培は?
夏ミカンの樹自体は、温州ミカンよりも寒さにやや強いらしい。
海岸沿いの日立市では、たくさんの夏ミカンの樹を見ることができた。
隣接する水戸市の市街地では、何本か見たことがある。
肝心のオレの近所となると、夏ミカンはほとんど見かけない。
海まではオレのウチから50kmぐらい先
田舎のオレのところは、水戸市の市街地よりもやや寒いんだ。
う〜む、たとえばオレ個人が根性で、夏ミカンまたは温州ミカンを育てたとしよう。
十年近くかけて育てて、これからようやく本格収穫というときに、いきなりの寒波で枯れたりしたら、オレにとってはショックが大きすぎる。
それに、日立市や水戸市で見かけた夏ミカンは、味が苦いらしいんだ。
冬の寒さで果実が痛むらしい。
寒さでただでさえ育つかどうかわからんのに、せっかくとれた果実が苦いのでは残念だ。
いろいろ検討した結果、オレはミカンの栽培を断念した。
そのかわりミカン類に関しては、オレはユズ(柚)だけを全力を挙げて育てることにしたんだ。
ユズ栽培を開始
ミカンが無理じゃあ、結局、何を植えればいいんだとなると、ユズしかなかった。
ユズというのは、カンキツ類のなかでも最も耐寒性があるんだそうだ。
現に、近所でもユズはよく生えていて、樹齢が五十年以上というのもある。
この土地において、過去の寒波に耐えてきた証明でもあるから、大丈夫であることは間違いない。
それに調理とかでも、近所で採れたユズはひんぱんに利用されている。
そういうわけで、オレはユズを植えることに決めた。
ユズ(柚)は、実が成り出すまでに長い年月がかかる、と親から聞いていた。
が、接ぎ木苗を使えばそうでもないことを、オレはカタログや本で知っていた。
オレは、ユズの中でも早くから成るタイプの苗を、通信販売で買ってきた。
名前を「多田錦」(ただにしき)という。
タネ無しユズとして、カタログによく載っている。
とはいえ、近所の園芸店ではあまり見かけないけどな。
オレはこの多田錦を主力として植えた。
とはいえ多田錦だけでなく、普通の柚のもの(接ぎ木はされてある)も購入して植えておいた。
ユズは全部で計十本ぐらい。
オレの果樹栽培では一つの種類でこんなにたくさん植えたのは、他にはブルーベリーくらいしかない。
さらに他にも、スダチ、一才柚、キンカンなども植えた。
ちと多すぎたかもしれないな。
育つのが遅いなあ〜
植えて数年は、ユズの苗の育ちがやけに悪いでやんの。
ユズの育ちがのろいことといったら、これがもう、しびれ切らしてくらあ。
てっぺんの方からヒョロヒョロッと、弱々しく芽が二十センチほど伸びたかと思うと、それで一年が終わってしまう。
なんだよ〜、この軟弱ぶりは。
のろいぞ。
一年で二十センチの伸びじゃあ、二メートルに育つには、いったい何年かかるんだあ?。
五年じゃんか。
買ったときは、苗木の高さ一メートルだったけど、今後二メートルに育つは、ざっと五年かかるじゃねえかよー。
そんなに待ちたくねえよ。
切っちまうわけにもいかねえし。
落葉果樹だったら、一年で五十センチから一メートルも伸びる枝もあるってのに、ユズはこの遅さだもんなー。
待ちくたびれて脱力気味になりそうだったが、あきれたり、うんざりするだけのオレの気分だけならまだしも、さらに成長が遅くなる事態がひんぱんに生じていた。
それは、アゲハチョウの幼虫にさんざん食われたこと。
小型のモスラみたいな幼虫で、ユズの葉っぱの上によくのっかっていた。
まさしく葉の上に「乗って」いるのであって、よく葉っぱの表面に居てさ、じっとしていた。
こいつが、ひょろひょろ伸びたユズの葉っぱを食い尽くしていて、枝だけにしてやんの。
頭にきたオレとしては、コンニャロメ!とばかりに、葉っぱの裏から指でピンとはじくと、幼虫は跳じかれて一〜二メートル先の地面に落ちた。
トロくさい幼虫であるから、再び元の場所に戻ることはまずない。
で、御陀仏というわけだ。
だから踏んづける必要はない。
これで一安心と思ってると、しばらくたつとアゲハチョウがまた新しく卵を産み付けて、またまた幼虫がいるでやんの。
新しく伸びた葉っぱが、とくに狙われたっけ。
もう、あまりにもひんぱんすぎて、防ぎきれねえよ。
葉っぱは食われてしまうし、ユズの発育はのろいし、これじゃろくに育たないじゃんか。
まったくイライラもんだ。
接ぎ木苗のユズだから、早く成り出すはずだったが、これじゃあ、実が成るまでにものすごい年月がかかってしまうじゃんかよー!。
ユズの大馬鹿!
オレは、ユズを合計十本ぐらい植えた。
年月は次々に過ぎてしまい、大体七年後、一九九八年のこと。
年月を経て、どのような成長となったか。
一九九八年の時点で、大きく育ったユズは四本。
なんとかマアマアの大きさに育ったのは、二本。
枯れたか、または、貧弱なものが計四本。
うまく育ったユズは、結局半分ほどだった。
ま、こんなもんかなー。
だいぶ苦労したけど、そのわりには半分育ったから、まだマシってか。
思い起こせば、植えて数年間は、やけに伸びが悪かった。
が、その後はだんだん順調に育つことが多くなって、一年で五十センチぐらい伸びることもあった。
でかい木は三メートルくらいになった。
ようやくヤレヤレといったところだ。
ただし、成長が二メートルどまりで、あまり育たないものもある。
なんでだろ?。
成長具合の原因を推測してみると、どうも、土質が良くて、深くまで栄養豊富な、良い場所のものが、生育が良好だ。
日当りがよくても、土が浅くてやせた場所は、ユズの育ちは悪かった。
なんにせよ、ユズというのは、発育がのろくて悪いことがわかったんで、一等地の場所だけに植えることが大事みたいだな。
ユズが初めて結実 一九九七年
植えてから七年目ぐらいかな。
一九九七年のユズの初収穫は、やや意外だった。
一九九七年の五月ごろ花が少々咲いたのは知っていたが、これには実は成らなかったと思っていた。
が、八月ごろユズの木のてっぺんあたりに、ミカンみたいな果実が一個くっついているのを発見した。
意外なことにユズが初めて結実していたんだ。
これは後年の写真だけど、こんなイメージだった。
木のてっぺんに結実していた。
完熟まで待っていると何が起こるかわからんから、オレはその一個を収穫してガリガリ食っちまった。
ユズというのは皮がニガイし、中身もスッパイから、そのまま生で食ってもうまくないんだ。
が、オレがすぐに収穫したのは、単に待ちきれなかった、というのが真相だ。
あと、普通のユズと「多田錦」というタネ無しユズを、一緒に植えてしまって見分けがつかなくなっていたので、それの確認をしたかったんだ。
一個だけ収穫できたユズには、タネがごってり入っていたから、これは普通タイプのユズであることが判明した。
右がタネ無しの多田錦。ただし、観光ミカン園で収穫したもの
2001年11月30日撮影
ウチのはタネ有りだったが、それにしても、最初の収穫までに、こんなに年月がかかるとは思わなかったよ。
木の成長はのろいし、待ちくたびれたころになってようやくの収穫だ。
とはいえ、「七年目ぐらいからやっとミカンが成り始めた」という内容を本で見かけたことがあるからな。
資料をいろいろ検討すると、ミカンの仲間は成り出すまで遅いものが多いらしいんだ、これが。
ある程度多くの数が収穫できるようになるのは、十年目ごろから、といったところかな。
まったくもう信じらんねえよ。
ただしオレの場合は、栽培上の失敗も多かった。
肥料をやったり、日当りを十分確保すれば、もっと早くから収穫できただろうけどな。
ユズの収穫 一九九八年版
一九九八年は、今度は十五個成った。
急に順調になってきて、じつに、めでたい!。
オレとしても御機嫌よろしい。
ユズを収穫したところ 1998年12月6日撮影
比較的マジメな顔をしているところでもある
さて、ユズの数は十五個とはいえ、予想外なことに、調理用にはこれで間に合うというか、余ってしまうことがわかった。
調味料や加工品としてユズは使えるが、十個以上の消費というほどの使い道は思いつかなかった。
そのため、冷蔵庫で残ってしまった。
むむむ〜、消費拡大は、あとでだんだん考えることにするか。
まだそのころは、実が成らずに貧弱な育ちのユズの木も多かった。
ユズは合計十本近く植えていたが、全ての木にユズが成ったわけじゃないんだ。
果実の量はもう充分なので、発育不良の木は切って減らすことにした。
成るまでに何年かかるかわからないし、土地の余裕もないので仕方がないという事情もある。
ユズの本数は半分ほどに減らしたが、一九九九年は自宅の庭で工事があったこともあって、さらに切るはめになった。
結果的にユズの本数は、三本になった。
ただし、いずれも高さ三メートルの大きな木なので、これだけでも充分だ。
たくさんのユズが成った 一九九九年
翌年の一九九九年、数十個のユズが成った。
ユズの本数は減ったとはいえ、木は大きく育っているので、実の数は三十個以上あろうか。
幼い頃からオレの願望であった「ミカン山」のイメージは、今ここに達成できた、とでもいおうか(大げさ)。
この写真はずっと後年の2012年11月15日に撮影したもの
オレが購入したユズは、タネなしが特徴の「多田錦」という品種が大部分、のはずだった。
タネ無しの方が、果実を絞るにしても、刻んで調理するにも、ずっと便利だろうと思った。
だが、一九九九年時点で成っているのは、タネがごっちゃりある普通タイプのユズだ。
オレは普通のユズは一本だけで、他は全て多田錦の苗木としていた。
だが、現在、成っている二本のユズは、普通のタネありユズだ。
つまり、誤った品種を園芸会社から届けられていたわけ。
オレは大きな園芸会社から「多田錦」を指定して通信販売で買っていて、届いてからも名札をちゃんと確認してある。
だが、それが間違っているわけだ。
こういう品種の間違いは、とても困ってしまう。
ユズの育ちはとてものろいので、今さら新しく植え直すつもりはないが、とりあえず、こういうこともある、というわけだ。
一九九九年十月時点では、収穫ザクザクの普通タイプのユズが、畑で二本。
自宅の庭には、品種名不明のユズが一本。
これは多田錦だと思うが、まだ実は成っていない。
作者を誉めるメールを送ってくれえ〜!
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